ネズミの映画ブログ

あらすじと感想を書いています!

「ガンジー」の感想 もう少し時間をおいて見た方が良い!

1983年アカデミー賞作品賞に輝いた「ガンジー」を見ました。

あらすじ

 1893年のイギリス領南アフリカ。 列車の一等車に乗っていたインド人の弁護士ガンジーは、白人の係員に、人種差別を受け、列車から放り出されてしまう。イギリス連邦の一員でありながら、不当な差別を行う白人政府に憤ったガンジーは、抗議活動を行い、白人以外の者が所有を義務付けられていた身分証を焼却して逮捕される。 逮捕されたものの、無抵抗だったガンジーに対して警察が暴力を振るった事に抗議の声が挙がり、ガンジーは釈放される。

 釈放されたガンジーは、第一次世界大戦中の1915年に故郷インドに帰国し、ネルーらが率いるインド独立を目指す「インド国民会議」に迎え入れられる。
 ガンジーは知見を広めるためインド全土を旅し、やがてイギリス植民地政府の暴力に対抗する為に「非暴力」を掲げ、抵抗を開始する。イギリス植民地政府は、ガンジーを数度に渡り逮捕するが、その都度民衆や新聞の猛抗議を受け、彼を釈放する。勢い付いた民衆は各地で集会を開き、非暴力運動を呼びかけるが、イギリス軍は、集会を排除する為に民衆を虐殺する。

 ガンジー国民会議のメンバーは総督と会談し、イギリスからの独立を目指す考えを伝えるが、インド政府高官達は彼らの宣言を真に受けようとはしなかった。 ガンジーはウッド新総督就任を狙い、インド全土でストライキを呼びかけ、インド政府を混乱させる。ウッドは抵抗運動を弾圧し、怒り狂った民衆が暴動を起こし、警官を殺害する事件が発生する。ショックを受けたガンジーは抵抗運動を止めるように訴え、断食を実施する。衰弱するガンジーを見たネルーたち国民会議のメンバーは抵抗運動の中止を指示し、ストライキ終結した。

 1930年、ガンジーは十数年振りに記者のウォーカーと再会し、新たな抵抗運動として塩作りを始める。ガンジーは塩の専売権をイギリスから取り戻し、インドの独立を訴える。直後にガンジーは逮捕されるが、残された民衆は塩を作り続け、 再び非暴力運動を展開していく。
 第二次世界大戦が勃発すると、ガンジーは反英運動を理由に逮捕され、収監先の刑務所で妻カストゥルバと死別する。
 国民会議のメンバーは、マウントバッテン総督と独立に向けた交渉を始めるが、インドでは少数派であるムスリムの権利が侵される事を危惧したジンナーは、インドとは別のムスリム国家の樹立を模索する。宗教対立を望まないガンジーは、ジンナーを独立インドの初代首相としたムスリム内閣を提案するが物別れに終わり、 イギリス領インドは1947年に、“インド”と“パキスタン”それぞれ別の国家として独立した。

 インドが分裂した事を嘆くガンジーは、それぞれの国家に取り残されたヒンドゥー徒、ムスリムが迫害を受け、その報復として、ガンジーは対立を止めようと再び断食を行うが、老齢の彼は次第に衰弱していく。首相となったネルーガンジーを助けるため奔走し、民衆もガンジーの姿を見て我に返り、暴動は鎮静化する。
 インドが落ち着きを取り戻した頃、ガンジーは夕べの祈りに出かけ民衆と触れ合うが、彼を敵視するヒンドゥー原理主義者ゴードセーに射殺される。


感想

 ガンジーという名前を聞いた事はありますが、実際何をした人なのか気になって見ました。列車で人種差別を受けた所から非暴力が始まるのですが、信念を死ぬまで曲げなかった事に関して、こんな人が本当にいたのかと驚きました。
 「私は失望した時、歴史全体を通していつも真理と愛が勝利をした事を思い出す。暴君や殺戮者はその時には無敵に見えるが、最終的には滅びてしまう。どんな時も、私はそれを思うのだ」と台詞があります。確かにそうだと共感出来ました。ただ、老齢になってからの断食はやり過ぎだと思うし、それしか考え付かなかったのだとも思いました。
 ガンジーが射殺されたのを見ると、安倍元総理大臣の事が頭をよぎり、嫌な思いをしましたが、自分のお薦めする作品の1つになりました。きっと、色々と勉強になります。